本日の記事はマンモスであるが、枕ネタを2つふっておく。

 現在、台風10号が九州にさしかかっている。

 今年の九州は自然災害の多い年になるかもしれない。

 紀州半島ルートならば、台風は関西に上陸するが、今年の高気圧は台風を九州側へ追いやっているようだ。

 もうそろそろ蝉が鳴く季節が終わろうとしている。


 今年の夏は長い。



 テレビは見ないわけではなく、選んでみている。

 
 テレビ東京の「開運! なんでも鑑定団」という番組も長年みている。


 なぜこの番組のタイトルに「開運」がついているかというと、鑑定の依頼人のご家庭にあるお宝が財産価値があれば運が良く、価値がなければ運が良ろしくない、ことが番組のなかで判明するために、依頼人の下心を視聴者が楽しむところからつけられたものである。


 下心とは、価値の値上がりを期待したり、あるいは、価値があることを期待する人間の財運欲である。


 鑑定団による適正なる鑑定を通じて依頼人の所有物の価値が客観的にあきらかになり、人間の思い込みによる悲喜こもごもとしたドラマが展開される。そこが視聴者には面白みを感じるのである。


 つい先日の番組では、お笑い業界における数多くの著名な賞を受賞をした実力派芸人のひとりの鑑定依頼品が真っ赤な偽物であることが判明し、芸人は意気消沈した。鑑定前は、依頼品が高額であれば、依頼品の収蔵されていた古い蔵を立て直す意図を示していた。古い蔵のなかには数十点の骨とう品があり、依頼品はそのなかでも芸人自身が最も価値のある作品だと選んで、鑑定を依頼したものである。


 鑑定前における自己の出品プロフィールは、彼はこの番組のファンであり数多くの鑑定依頼品を見て真贋を勝手に判断し、当たっていた経験が多いことを吹聴した。そこで今回出品する作品は、番組から得た長年の鑑識眼を根拠に本物だと思ったようである。


 田能村竹田(たのむらちくでん)の水墨の掛け軸である。


 江戸時代後期の著名な画家である。南画や文人画で優れた作品を後世に数多く残している。


 芸人は人を観る目ががある。だが、作品を観る目がない。それが番組で明らかにされたため、彼は公衆の面前で赤っ恥をかいた。


 実は、彼だけではなく、自分も画面を通して、数多くの自己鑑定をして、彼以上に真贋の判定が高いと思われる。


 十中八九は真贋の判定が、鑑定団と同じである。価格もピタリと当たっていることがいくつもあり、「これは3000円だね」と思ったら、電光掲示板の数値が3000円を表示している。「これは500万円ぐらいかな」と思ったら、それに近い数字が来表示されると、「お、なかなか自分の目も育ってきたな」と喜ぶのである。


 出品される鑑定依頼品の種類は多岐に渡り、骨とうの価値がいかにもありそうに見えるものばかりである。


 一見するとね。


 自分は番組の収録会場に披露された竹田の掛け軸を見た瞬間、偽物だとわかった。


 「これは、あかん、偽物や。あーあ、彼は可哀そうに。しょせん芸人レベルだな、芸人は芸人。価値はわからないのだろう」と思って笑うしかない。


 いっぽう、楽家の家系に生まれた雅楽の演奏者が出品した木彫りの作品は、画面でひとめ見ただけで本物だとわかった。

 これは本物だから、1000万円以上の価値はつくだろうと思った。

 演奏者はコロナウイルスの影響で演奏する機会がほとんどないので、自宅で毎日仏像を手彫りで彫っているらしい。

 自作の見事に綺麗な仏像を収録会場に披露した。司会者は見事な出来栄えに驚き、これを鑑定依頼してもらうのか?と尋ねたところ、演奏者は「実はこれではなくて、自宅にある木彫りの像を鑑定してもらいたい」との依頼だった。

 
 その象は、高村光雲が作ったとされる老人の木彫像であった。自分が見たとき、一瞬で十牛図のワンシーンをイメージして作ったものだとわかった。

 「よくこんなものが作れるな。これは本物だ」と自分は想った。

 高村光雲といえば、詩人光太郎の父であり、当代きっての彫刻家である。

 彫刻には精神が宿るのではなくて、目に見えない精神を形にしたものが彫刻である。

 目に見えない精神の理解において、十牛図の理解はかなり難しいことになる。

 綺麗な象徴的な仏像とは訳が違う。ただの汚い爺さんをつくるだけだ。


 微妙な笑顔の表情をつくり、骨格や体形や、姿勢など、すべて想像で作らないといけなくなる。綺麗な仏像は、仏像づくりのルールに則った衣装を身にまとうため、概して誰が作っても、似たようなものになるが、元ネタが数多くの個性的な絵画で描かれている十枚の絵から、1枚を取り出して、描かれる対象の真髄を引き出して表現することは、極めて難しいことになろう。この汚い爺さんが笑顔で歩く姿に、自分は1000万円以上の値をつけたのは、見た瞬間にすべてがわかったからである。

 非常に美しい木像である。


 演奏者の目はよく出来ている。上にあげた芸人の例とはまったく異なる。

 演奏者が趣味で仏像作りを始めた理由は、自宅に飾っているこの汚い爺さんの木造に近づきたいと思ったからであろうと思われる。


 美しいとは、心打つものがある。


 また、こんな話もある。

 ある女性芸人がピエロの暗い絵が気持悪いと自宅に飾るのをやめて、何度か捨てようとするが、捨てるたびに、自宅に戻ってきてしまう作品があった。

 ピエロの絵画は複製画だから価値はない。だが、描かれている絵画は極めて価値の高い作品である。

 その女性芸人はそこにぜんぜん気がつかない。

 ピエロの絵画は、芸人の友人が芸人を励ますためにプレゼントしたものらしい。その友人はピエロ役を演じる悲しみを芸人に例えているわけではなく、躁鬱の激しい芸人を励ますつもりであげたのだろう。芸人はそこに気がつかない。

 そのピエロの作品は、ルオーの作品である。


 ジョルジュ・ルオーは、フォービズムに位置し、アンリ・マティスと対極の位置にあり、マティスの親友でもある。ルオーの作品はマティスの華やかな原色の世界と異なり、黒を多様した暗く沈む作品が多い。ルオーは特に社会の底辺で生きる女性の苦しみのなかに神聖を見抜いて、見事な油彩画をたくさん残している。キリストのオリジナル作品も多い。自分はどちらかというと、マティスかルオーか、どちらを好むかというと、ルオーかもしれない。女性は華やかなマティスの作品を概して選ぶのかもしれないが。
 
 
 この場合は、コピー自体はまったく価値はないが、作品自体は真作なので極めて価値がたかい。

 美の選択は、表面的に捉えるか、最深部にまで探って到達できるか、いろいろな見方がある。

 偽物は、見る人の度量と人生観の深さにより、人の目を誤魔化すことができるだろうが、眼力を持っている人には、まったく通用しない。



 そもそも真贋の鑑定のポイントは、美しいか綺麗かである。綺麗なものが偽物であるとは言っていないが、美しいものは本物である。それに近づけようとして綺麗に小細工するものが偽物である。


 美しい作品は本物であり極めて価値が高い。いっぽう綺麗な作品は偽物である。価値はないに等しい。


 人間は綺麗な作品の判断はとても簡単だ。簡単だから、竹田と書かれているだけで、本物だと思ってしまうようだ。仮に無記名のものであっても、美の一貫性のある作品は、いずれ誰それさんの作品の真作だとわかるようになる。


 人間は、綺麗かそうじゃないかの判断は得意だが、美しいかそうじゃないかの判断がとてもヘタなのである。


 綺麗とは何かというと、小細工をした外観の装飾であり、それが職人技でもあったりする。


 美しいとは何かというと、綺麗ではない、あるいは、綺麗なだけではない「人間の生身の心」が現れていることである。


 ほとんどの人間は、綺麗に騙される。つくる立場からすれば簡単につくることが可能である。要領や作法が他人に伝授しやすいコツだからである。


 コツさえわかれば、誰でも綺麗につくれる。それが「キレイ」というお化粧だ。



 そもそも綺麗とは化粧である。綺麗の観点が生じるのは、土台がある。土台があるがゆえに、そこから綺麗への志向性が湧く。


 化粧を落とすと生身の素顔があらわれるけれども、それが醜いと思っているがゆえに、人間は化粧をする。もしくは、素顔以上に魅力をつくるためである。土台の判断を自ら勝手にしてしまうためである。そしてとうとうキョンシーかバカ殿様のような化粧をしてしまうのだ。キョンシーの場合は死化粧、バカ殿様の場合は異様である。


 また、さらに酷い作品になると、印刷物のときもある。


 骨とう品の絵画で印刷物であることすら気がつかない依頼人もいるのである。


 印刷物の価値とは、真贋問わずどんな絵画であっても、1000円程度にしかつかないものだ。


 言い換えれば、印刷物としての技術的価値だけがある。それ以上の価値はない。心打つのは印刷ではなく作品そのものだからである。


 偽物だけでなく、さらに偽物の印刷物になると、印刷業者の目もボケているのか、仕事に徹しているだけなのか、まったく世の中信頼できるものではないことが見えてくる。真面目は当たり前。真面目に印刷する人もいれば、真面目に贋作をつくる人もいる。


 それから、もうひとつの枕。

  まずは個性とは何かについて書こう。

 特許権等は出願人の個性を守るための権利である。具体的には絶対的排他権を権利者は取得することができる。


 こんなことは条文のどこにも書かれていないけれども、個性の意味を発明等の観点から示すと、個性とは何かがよくわかるだろう。


 「世界にひとつだけの花」は個性でもなんでもない。ただの癖である。人間の顔がみな違う(一卵性双生児を除く)のも、先天的な癖であり、それは両親の顔の合成である。だがウィトゲンシュタインの家族的類似の指摘どおりに、両親の顔とどことなく似通っていたとしても、その子の性格は両親とは違う。これが後天的な癖である。好き嫌いが異なるのも癖にすぎない。感性も物の捉え方が異なるのも癖である。ひとりひとりがみな環境が異なるどおりに、その環境もまた癖である。


 個性とは何かというと、こうした個々人の持つすべての癖を乗り越え、まさに特許を得るための発明の要件を具備する仕事をなしとげた者が持っているものである。

 発明は、誰でもがなしうる。

 だがこれに絶対的排他権を取得したいならば、一定の条件を具備しなければならない。

 1つ目は、世界中の誰も知らないこと、さらにインターネット上の情報にもないこと。2つ目は、発明や考案の場合は、1つ目の条件をもとに容易に発明できないこと。3つ目は、出願すると出願内容が公報に強制的に掲載されるが、それをパクった発明ではないこと。それ以外には出願書面の不備がある(この場合は審査されずに出願書類は却下扱いとなる)。これらの条件を具備しなければ、誰でも可能な発明に対して、日本国内における絶対的排他権を取得することは不可能となる。また、同時に発明して出願する者もいるから、先に出願した者を優先して権利を付与することにしている(特29条・29条の2、39条の実体的要件と36条の形式的要件を参照すること)。
なお、先発明主義はサブマリン特許の弊害を生むから、日本では採用していない。日本が追随する発明先進国のアメリカはかつて先発明主義をとっていたが、権利行使時に多くのトラブルを生じるため、現在は日本と同様に先願主義をとっている。先願主義の長所は、客観性を担保することができる。先発明主義は主観主義であるから、トラブルが多かった。


 そもそも発明とは個性そのものである。


 その個性を真似る輩に権利を付与すると産業の発達を阻害するため、特許権等は存在するのである。


 ただ発明であれば国家的権力を付与することはできないから、一定の条件を具備した者に対してのみ特許庁は権利を付与することにしているというわけ。



 個性の理解とは、一般が考えるほど、簡単なものではないということがここでわかるだろう。

 ここで具体的に個性的な人間の名前をあげる。こうすればよくわかるだろう。


 ケインズ。世界の資本主義の父だ。

 セザンヌ。現代絵画の父でもある。

 ゴッホ。表現主義の祖。

 エジソン。現代の基礎を作った発明家。

 マーク・ザッカーバーグ フェイスブックの創業者。


 こうした者が個性的である。


 個性的な人間とはこうした者たちのことを言う。


 正確に書くと、彼らの発明は、発明の前に発見がある。発見は発明の母である。


 日本の特許法では発見に関しては権利を付与することはできないが(理由は、それだけでは法目的(特1条参照)を達成できないからだ。発明が必須。)、発見に関しても、実は、特許要件があてはまるであろう、と自分は考えている。


 いいかえれば発明よりも、もっと難しいのが発見である。



 そこで、マンモスを最初に発見した人は、どれほどスゴイ人だったのかがわかるだろう。


 発明よりもさらに個性的な人である。

 しかも骨とう品よりも価値は高い。


 マンモスの毛皮を入手できれば、是非とも、テレビ東京の「開運! なんでも鑑定団」に出品したいものだ。

 マンモスの毛皮↓
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 昨日、マンモス展を見に行ってきた。


 大阪南港にあるATCギャラリーにて展示している。
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 巨大商業施設のATCといえば、大阪南港にあり、関西汽船(通称カンキ)の乗り場がある。

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 ↓左手が乗り場。
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カンキの旅客船「サンフラワー」シリーズの2隻が停泊していた。

手前が「サンフラワー こばると」、奥が「サンフラワー きりしま」。

船尾にネットのURLをデカデカと載せている。

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さんふらわー公式サイトはコチラ

調べると、あいぼり、こばると、さつま、きりしまは乗ったことがある。ごーるどとぱーるがあるみたいだね。

 小豆島にかえるときはこれをよく使っていたが、今は神戸中突堤のジェットフェリーを使う。

 サンフラワーで思い出したが、給油船のさんこう28はまだ稼働しているのだろうか。ふときになった。商船三井との関連でカンキのことをいろいろ学習したが、ここはまだ倒産していないんだね笑。
けっこう危なかったと思っていたが、まだ生き残っていたんだね。瀬戸内航海の客が少なくなって、毎月赤字が続いていたから。しかもさいきん船内をリニューアルしたとか。よくお金があるね。
なお、いくつか瀬戸内のフェリー会社はつぶれています。

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 自分は飛行機嫌いだが、船旅は大好きである。

 海こそ男だぜ。

 そういえば商船三井の機関長がこんなことを言っていた。巨大なタンカーを操業していたところ、太平洋にて、大しけに遭遇した。波の高低差は10mほどあり、あんまり波が大きいので操舵室にあがったところ、遠くに見えるタンカーの先端が折れ曲がるかのように見えたそうだ。大波がタンカーのC重油などをつめこんだタンクの上にざばーっと洪水のように入ってきてはひけてゆく姿は、恐ろしいものだったそうだ。めまいがするほどの長大な波がタンカーを持ち上げては突き落とすことを繰り返したそうだ。自然はすごい。

 自分はどんな波でも一度も酔ったことはないが、10mの高低差は想像が難しい。しかもタンカーでしょ。瀬戸内では考えられない大波が太平洋では起こりうるんですね。

 波には強い自分だが、空には弱い自分だ。

 飛行機が嫌いな理由は、逃げる場所がない。

 海なら座礁しても助かる可能性がある。

 ATCの中↓ 
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 ATC独特のシースルーのエレベーター
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ひさびさにATCに来たから、あら、どの方角だったっけと失われた土地勘を思い出そうとした。


 ここは広いから、ATCギャラリーがどこにあるのか探すのは手間取った。


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ギャラリーはどこだあ~と探す。看板がたよりである。


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マンモス展は右で、刀剣乱舞は左か。


で、ATCギャラリーは右か。


ITM棟2階か。
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標識どおりに進むと、マンモスの頭がある。
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ここまっすぐか。

ここのギャラリーに来るのは初めてだから、どうも勝手がわからない。

大きな看板もあるし、ここらだろう。

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あ、あっちか。ギャラリーの看板が小さいから、迷わされるの。


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いろいろ歩いているうちにようやく見つけた。

おそらくここだね。 
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見つかった見つかった、ここだここだ。


優待チケットを持っているので、券売所をスルーして中に入る。
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入る前に、スマホで追跡調査の登録が必要になるらしい。コロナウイルスの追跡調査である。

スマホを持っていたが、「あ、忘れました」と言うと、スルーである。


この追跡調査は意味がない。


なお、PCR検査というのもあるらしいが、検査をして陰性でも、それ以後、陽性になる可能性はある。

検査自体には意味がない。まだインフルエンザのような予防接種はできないのだから、検査したところで安全性が確認されているわけではない。


この検査や追跡調査は、コロナウイルスの感染拡大を防止するためである。

ここでコロナウイルスへの最大の防御策を書いておこう。


接触感染であるから、手洗いをしっかりすればよく、消毒をするのも必須。

この2点だけをしっかりしておけば、感染することはありえない。


もちろん会場入りするときもそなえつけのボトルで消毒はした。

なかに入ると、けっこうな観客がいた。


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けっこう混んでいる。

こちらがマンモスとゾウの進化の過程の略図。

マンモスは絶滅したが、ゾウは現代のとおりに存在している。

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プリムエレファスのところで大きく分岐していますね。


そしてこれがマンモスの骨格像。

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 恐竜の化石とマンモスの骨との違いは、多くの人がご存じのとおり、化石はタダの石であり、骨は本物の骨である。

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チュラブンスキーのケナガマンモス。


 マンモスにもゾウと同様に何種類かあって、ケナガマンモスは大型の部類に入るようだ。


 再度書くが、これは化石ではない。骨だ。1万年以上もまえの。

 だからすごいんです。
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 骨が1万年も残っていること自体が奇跡である。

 恐竜が絶滅した理由は、骨がひとつも残っていないことでわかる。

 化石は骨ではなく、火山灰のなかに閉じ込められた骨が消失して、形として残っただけのもの。

 火山灰ということは、恐竜の絶滅は火山噴火による地表温度の変化と地形の変化が原因。


 恐竜の時代には、まだ人類は誕生していない。

 いっぽう、マンモスの時代には人類が誕生している。

 マンモスを捕獲する人類は確かに存在した。

 そのマンモスがなぜ絶滅したのか。

 なぜ人類は生き残ったのか。

 不思議に思うかもしれないね。

 それを解くヒントは脚。

 マンモスの脚は動きが遅い。今のゾウよりも遅かったでしょう。

 かなりノロマな巨大生物だった。

 全体の身体と長い牙とのバランスを考えると、頭が非常に重たかったからではなかろうか。


 いっぽう人類は、脚が速い。

 逃げ足が速いということは、追いかけるスピードもマンモスに比べて速かったのだろう。

 だから、マンモスは簡単に捕まえることができる。

 石槍で数十も打ち込めば、マンモスは簡単に倒すことができたであろう。

 人類にとって、マンモスは動く食糧だった。


 しかしゾウの習性をみてもわかるとおり、マンモスも群れをなして行動していた。

 人間から襲われないように。それから現代の肉食動物の祖先たち(サーベルタイガーとか)から襲われないように。

 この脚の遅さは、群れをなすことでカバーした。

 だが、これが仇になる時代がやってくる。

 氷河期である。逃げ足の速い人間はより暖かい場所を探し求めた。

 だが、マンモスの集団は、脚が遅いうえに、集団行動のおかげで右往左往をするばかりである。

 そして凍土と化した地表に、マンモスは逃げ場を見失い、また食料の植物を得ることができずに、つぎつぎと倒れていった。

 そして1万年後、現代人がシベリアの凍土から、数多くのマンモスの骨を見つけることになった。

 ここに展示されている動物の骨格は、すべてほぼ1万年前のものである。

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 骨はカルシウムで出来ている。だから、長い年月を通して、土の腐食菌がカルシウムを分解してゆくのが自然の原理である。いかなる生物でも、なんら防腐処理や環境を作らずに、そのまま土のなかに長年入っておれば完全に分解されあとかたも残らない。

 この原理のとおりに考えると、自然のままで1万年前の骨が残っていることはありえないのである。


 それがこれだけ残っているのは奇跡そのものだ。

 
 それが凍土のおかげだったんですね。

 感動しませんか?

 すごいことなんですよ。


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1万年前の動物の骨がこうしてすべて残っている。

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 恐竜ではありえない実物の骨なんです。

 
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 小動物の骨もたくさん出土している。

 今の時代にも存在している小動物である。

 1万年前の。

 そう、永久凍土で待つ者はなにかですね。


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 これらすべての骨はシベリアの永久凍土から発掘されている。

 
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 2年以上0度以下が続く大地のことを永久凍土というらしい。

 シベリアといえば、氷点下の地域として有名である。

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 近畿大学の研究班がマンモスの発掘調査をしに10日間のシベリア滞在をしたそうだ。

 まあ、真夏に行かないとね。冬はシベリアには入れないだろうからね笑。

 シベリアの夏の気温は30度ぐらい。それ以外は氷点下が長く続く。


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永久凍土の模型

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 氷の結晶が地層を固めているのがわかる。カチンカチンのとても固い土である。

 それも夏に発掘するから、こうしてマンモスの大腿骨や骨盤らが掘れるのでしょうか。

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 ひとつひとつの骨が巨大だ。


 マンモスの骨がウハウハとれるように見える。 そこらじゅうにマンモスの骨があるのだろうか。

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さきほどマンモスは群れをなすと書いた。


そういえば、ゾウの墓場という話を聴いたことがあるだろうか。


 ゾウは死期が迫ると、ゾウの骨がたくさん散らばっているゾウの墓場という特定の場所に行って、そこで死ぬらしい。だからゾウの骨は集まって見つかる。


 ゾウの仲間であるマンモスが絶滅したときも、集団化しているため、そこで骨がつぎつぎと見つかるのであろう。それは死期ではなくて、寒さと餓えのために。





 しかし、凍土のなかに埋まっていたのは、骨だけではなかった。

 これもまた奇跡的に、生前時の姿を残したまま、腐らずに1万年以上も時を経て、現代に残っているものもあった。



 


 ケナガマンモスの皮膚とmanmosu
仔馬である。

 仔馬は4万年前の姿を今に残している。 4万年前の仔馬です。

 ケナガマンモスは3万年前の皮膚。


 それからこちらが、ユカギルバイソン。6300年前。


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 さてこれからが本題。

 こうして1万年以上前の姿を今に残してくれているということは、

 今の時代の科学は何ができるか。


 そう。


 復活である。DNAが完全に入手できれば、再生することが可能だ。

 
 遺伝子工学が発達した現代において、クローン人間が作れる現代において、マンモスを復活させることは不可能ではないのである。


  
 もしマンモスを復活させることができれば、ジュラシックパークならぬ、「マンモスパーク」をつくることができる。

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 自分はどちらかというと、商売人の顔もあるから、中国のパンダ戦略に打ち勝つためには、それを凌駕する面白いものをつくりだして、世界にPRしてゆかねばならないと考えるほうだ。


 パンダは中国政府がすべて管理しており、全世界から収益をあげている。


 そこで日本は、マンモスを大量につくりだして、世界中の動物園に貸し出して、そこから利益をあげることができるのではないのか。

 別にこれは空想でも妄想でもない。

 実現可能である。

 自分は空想や妄想を嫌う。現実の面白さをどんどん追求してゆく性格である。


 映画ジュラシックパークに登場するジョンハモンド氏のような性格かもしれない。


 あの映画では、恐竜のDNAを入手するのに琥珀に入った蚊から血液を入手する方法である。

 発想としてはおもしろいが、実際に琥珀に入った蚊から、何らかの抽出物を調査した人がいる。

 実際には蚊からは、何にも見つからなかった。外観だけを残しただけであり、蚊のDNAすらも入手することができなかったのである。

 そもそもDNAとは、生命の誕生から生体の成長と衰退を含めたすべての生命の設計図である。

 DNAの構造は、生体の部位によって、個々に異なるため、たとえば、 髪の毛のDNAから人間はつくれない。爪の垢から人間をつくることはできない。


 髪の毛のDNAは髪の毛だけの構造をしており、垢は垢だけの構造をしている。


 ここに大きなパズルがあるとしよう。すべてのピースが集まって、きちんとそれぞれの場所に収まって、そこではじめてひとつの生体になる。

 もし、ピースが欠けていたら。


 非常に恐ろしいことになる。


 ピースが欠けたままの生体ができあがる。


 人間であれば、耳のない人間、腕のない人間、目が3つある人間、こうした実験をマンモスの遺骸からしてしまうことは、異形なマンモスを創り出してしまう恐れがあるのだ。


 それをつくりだした者こそ、マッドサイエンティストと称されるようになるだろう。

 生命の部位を司るすべてのDNAを獲得しなければ、とんでもない生物が作られてしまう



 もし、足りないピースを他の動物で補うとすればどうなるか。


 脚になる部分に馬のDNAをはめこんだりすると、馬の脚をもったマンモスができてしまうだろう。


 安倍首相の顔のDNAをマンモスの顔に当たる部分にはめこむと、安倍首相の顔をもったマンモスができてしまい、それは、プーチン大統領でも、トランプ大統領でも同様になる。

 マンモスの顔のDNAをマンモスの卵子に埋め込まないといけない。そうじゃないと、とんでもないおもしろさが誕生してしまうだろう。


 近畿大学は他の生物の卵子にマンモスの遺伝子を埋め込む方法を考え出した。が、生体はマンモスと他の生物の合作になるだろう。

 これは駄目である。
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 なんか、漫画の流れをみると、君たち、本当に楽しいことやっているね。

「マンモス復活緊急会議」
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これこそ男のロマンだ!という感じでしょうか。


まあ、人間一生一度だけだから、悔いを残さず好きなことをやったほうがいいけどね。

で、苦心のすえに復活させたマンモスがこちら。
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へえ~すごい模型だね。

これが本当に動く動物だったら、どれほど感動するか。

もしこれが動いたら、マンモスパークは確実に実現できるでしょう。


最後にここで結論を書いておこう。

マンモスパークは不可能ではない。

そのために乗り越えるべき条件がいくつもあるが。

(1) マンモスの完全体になるすべてのDNAを確保すること。これが現在できていない。

(2)すべてのDNAを確保してから、アフリカゾウの雄になる卵子に、マンモスの毛の生えるDNA、マンモスの牙になるDNA、マンモスの骨格になるDNA、その他もろもろのDNAを含んだ精子を入れる。

(3)アフリカゾウを基礎としたマンモスの誕生。成長を見守る。

(4)成長したマンモスからオスメスの遺伝子を抽出し、かけあわせる。

(5)マンモスの量産

(6)秘密裡にマンモスパークの設計と建築をすすめ、とある島にそれを実現させる。

(7)そして・・・・・・





ジュラシックパークならぬ、「マンモスパーク」が誕生する。。


マンモスとの初対面のお客様第一号は、世界中の大統領や首相らを招待して驚かせる。


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しかし、この発想は以下の内容により、近畿大学の研究員らは躊躇しているようだ。


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「わけあって 復活できません」ということだそうだ。


ひとことでいえばモラルの問題である。

ゾウの個体数自体が少ないのに実験に使っていいものかどうか。

自分の考えは、個体数ではなくて、卵子と精子の量である。

培養できないのか?





この試みはおもしろいのである。


子ども向けの新聞に載せられている。
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もしかすると大人は興味をもたないのかもしれない。

ロマンは大事だよ笑。


マンモス復活は子どもと男のロマンである!笑

女性はどうでもいいのかもしれないが。



シベリアといえばロシアの領土。


ロシアに先を越されて、プーチンがパンダに代わる第二の世界のマスコットを作ったらどうする?


妙な倫理観は自己防衛の問題。政治の問題ではない。

政治は金になればなんでもするだろう。

いまや世界の2大大国になった中国に勝ち、ロシアに勝つために、是非ぶっとんだおもしろ発想を実現化してもらいたい。

日本をマンモス大国にするんだ!


という今回の記事でした。

今回はちょっとテンションあがったか。