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  小林秀雄は多数の文芸評論を出している。

 ゴッホの手紙やモーツアルトが著名だろう。

 彼の全集を読んでいると、「無常という事」という短い随筆をいずれ読むことになるだろう。


 この随筆は、比叡山に登った小林が山王権現の通りの青葉やら石垣を眺め歩いているときに、ぶと気がついたことを書き留めたものである。

 歴史というものは動かしがたいものであって、新しい見方とか新しい解釈とか、まあ~いろいろと後世の者がつついて表現してくるものであるが、その不動感を決して拭い去ることができない。いかなる解釈をする者であってもだ。
 
 歴史というのは後世の者がいじることができるほど脆弱なものではない。鉄壁の牙城でありいかなる解釈をもそれを打ち砕くことは叶わないのである。


 確かに人間は未来に行くことはできるが、過去には決して戻ることはできない。過去を解釈にて自由に変化させるのは人間の自由であるけれども(SF小説ネタとかね)、それはあくまで解釈だけにとどまるものである。人間が過去に対して確実にできることは、知ることだけだ。いじることはできない。知ることができるといっても、どこまで深く広く知ることができるか。ある知識の限界点があって、それ以上は推測の域を出ることはできまい。

 かような点において、過去は脆弱なものではない完ぺきな事実なのである。


 一言芳談抄の一説を引いて「生死無常のあり様を思うにこの世のことはとてもかくても候。なう後世を助けたまふと申すなり」これを思い出した小林はソバを食っているときも心が定まらなかったと、あとで述懐している。あのとき自分は何を感じ何を考えていたのだろうか。


 思うに自分は後世を助ける意図をもって作者はこれを記したのであろう。小林もまた同じ考えを持っていたと考えられる。


 歴史は美しい。

 それを小林は思った。

 なぜかというと、まったく動かすことができないからである。


 森鴎外もまた膨大な時代考証をはじめたとき、歴史の魂に触れ同じようなことを思った。


 解釈を拒絶して動じないものだけが美しいと。


 本居宣長が古事記伝を書くにあたって、一番大切な点を指摘するとしたら、おそらく壊すことの不可能な事実だけである、と小林は述べている。


 小林がある日こんな考えをそばにいた川端康成に訊くと、川端はこのように答えた。


「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、何をしでかすのやら、自分のことにせよ、他人のことにせよ解ったためしがあったのか。観賞にも観察にも堪えない。そこに行くと、死んでしまった人間というのはたいしたものだ。なぜ、ああハッキリとしっかりしてくるんだろう。まさに人間のかたちをしているよ。してみると、生きている人間というのは人間になりつつある一種の動物かな」


 小林は一種の動物という川端の言葉をいたく気に入ったそうだ。


 確かに歴史には死人だけしかでてこない。当たり前である。

 したがってのっぴきならぬ人間の相しかあらわれず、動じない美しい形しかあらわれぬ。


 だが小林は過去を飾り立てるのはそれを美しいと勘違いしているという。過去のほうで僕らに余計な思いをさせないだけである。思い出が僕らを一種の動物であることから救うのだ。思い出が「後世を助けたまふと申すなり」である。


 生きている歴史家もまた人間になりつつある動物の一種である。

 最後に小林は、現代人には鎌倉時代のどこの女房ほどにも無常ということがわかっていない。常なるものを見失ったからである、と書いてそこでペンを置いている。


 動物は未来へ向かって生きてゆき、最後に人間となって死ぬ、というわけなんですね。

 これが延々と波のように前に前に現れては消えて歴史は紡がれてゆく。


 これが無常である。

 自分はそう思った次第。