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 大原則として、選択は、選んだほうが責任を負い、選ばれたほうはいっさいの責任を負わない。


 だがそうなると不合理が生じることもあるから、例外としてPLO責任という法律がある。


 かような例外は、無知ならざるをえない消費者を保護するためにある。製法あるいは製造工程における意図的あるいは意図せざる生産者側の瑕疵を消費者は知ることができないためである。


 これは例外だ。


 そもそも人倫の大原則は、選んだほうがすべての責任を負う。


 だから、選んで紹介する場合において、選ばれた側に不都合が生じるときは、そのすべての責任は選んだ者が負うのである。


 世のツイッターなどにて誹謗中傷する者は、その自覚がまったく微塵にもない。


 だから人間として未熟なる素人である。


 誹謗中傷される芸能人らは反逆として炎上商法やステマ商法をツイッターなどで披露するかもしれないが、これはツイッターなどのSNSの時代において相手の素性や身分を知ることができないためである。


 一般人はまさに自然そのものであり、人間として洗練されていない野人そのものだ。

 だから一般人なのである。

 だからこそ、一般人はコミュニケーションを選択する責任をもっと強く自覚すべきである。

 SNSでは、誹謗中傷してバックレてしまえば、責任逃ればかりしているからだ。


 彼らは一様にブログやホームページなどの発信基地を自ら設営しているわけではなく、単にスマホなどのツールを使い、興味本位でネットサーフィンをするタダの行楽者にすぎない。だが行楽者がお店に顔出しして、お店を誤解したまま、その誤解を世に喧伝すると、お店側は不合理が生じる。


 炎上商法やステマ商法は例外として、まっとうなる営業をしているお店に対する誤解のない正当な理解を果たすまでは、決して関わってはいけない。これもまた選択者の責任であり、表現者を守ることにもなるのである。


 要は、選択した側の責任として、正しい理解をするべきということだ。

 なにせ正しい理解のないお店は、闇営業以外に存在しないためである。

 ストレスを抱えてはけ口を求める一般人は相手の迷惑を顧みずふざけて曲解するのが大好き。これは自分の店を持たずにうろついている行楽者自身がお店に無理難癖をつけて店の評判を他の行楽者たちに誤った認識を与えることをする者に他ならない。


 テラハにて木村花氏の事件について語ると以上に述べたことを象徴する形となる。


 SNSにおける店を持たない流浪の一部の一般人は愚物以外の何物でもない。まっとうな多くの一般人も巻き込んでこうみなさざるを得ない。彼らは自己責任を知らない幼児そのものである。


 子どもが大人のふりをするのは社会常識を早熟に身に着けた者であるが、子どものような大人は危険極まりない存在である。精神が未熟なる者はツイッターなどのSNSにかかわるな。幼稚園からやりなおしましょう。プロも素人も関係ない。